『ホビット』の訳者でもある東京大学名誉教授による指南書である。本の袖を見てみると「(中略)書かれてあることを『文法的に』正しく解釈し、辞書のことばで置き換えるのが翻訳だと思っている人の『常識』を破壊(中略)」とある。誤訳を恐れるあまりに文法と辞書の語釈をよりどころとする身としては誠に耳が痛い。同書を読み終えて、心に残った言葉を中心に、所感をまとめてみる。
p3にはこう書いてある。「君、いままでの生涯の中で、人に向かってそんな風に話したことある?」英文の文章構造と辞書に書いてある訳語に引っ張られて、受験英語に出てくる英文和訳であれば正解かも知れないが、はたして自分の訳文はふだん使っている日本語になっているのだろうか。筆者は同じく同書のp3で自然な訳文の例を挙げ、「(中略)きちんと情景を頭に描き出し、(中略)自分のことばとして発している(中略)」と説明している。
第1章の「神が語るか、人が語るか」の項では、「英米で好まれる小説作法は(中略)神が書いているかのような、語り手の主観が極力排除されたもの」であり、「日本では作者個人の声や視点が地の文にまでにじみ出ているようなスタイルが、小説の文体として好まれ」ると述べている。(p23)
同章p25では、英文学者・翻訳家の別宮貞徳氏の主張を引用し、「翻訳は普通の読者が読んで意味の通じるものでなければならない」と紹介している。ここら辺から、直訳、逐語訳、「同化翻訳」「異化翻訳」「実用テクスト」「文学テクスト」、AIに置き換えられるものは何か、と第2章以降で論じられている。
第2章p38では、三島由紀夫の短編「新聞紙」の英訳を例に取り、原文と英訳の構造を比較している。原作が4段落あるのに対して、英訳は1パラグラフになっている。これを著者は、「原作の情報を取捨選択して、完璧な英語の段落に転換した」と説明している。(p41)実際の翻訳現場では、ここまで許されることは少ないように思うので、あくまで文芸翻訳の一例と読者は考えたほうがよいだろう。
同章p43で著者は、アメリカの翻訳者であり研究者でもあるローレンス・ヴェヌティの翻訳理論「同化翻訳」「異化翻訳」を次のように説明している。「最初から英米人が書いたかのように読める翻訳が同化翻訳」「明らかに翻訳であることが分かるように、オリジナルの言語の言い回しや構文が見えるように訳すのが異化翻訳」と書いている。p51では、芥川龍之介の「羅生門」の英訳を例に挙げ、「同化翻訳」「異化翻訳」を説明しているので、詳細はぜひそちらを参照してほしい。
第3章では「視点と語りー文化圧とは何かー」と題して、英語の小説、日本語の小説の視点の違いを論じている。p67では谷崎潤一郎作『蓼食う虫』のサイデンステッカー訳を取り上げ、原文と訳文を比較している。原文では妻の視点から夫の視点へと第1段落、第2段落で視点の転換がある。ところが英訳では、英米文学では三人称小説がスタンダードである、と述べ、視点の転換は無視され、第三者の視点で描かれている。これを著者は、「『同化翻訳』への圧力が強かったのでは」と説明している。フィクションを訳す翻訳者には、この章の視点の話は、実際に訳出する際に役立つ点が多かったように思うので、詳細は本書を読んでもらうこととし、ここでは詳述を控える。
第4章「実用と文学のはざまーAIはなぜ『通訳』を殺すのか―」では、「実用テクスト」「文学テクスト」を引き合いに出し、AIに取って代わられる翻訳についても言及している。p80では鉄道について書かれた英文3つを「実用テクスト」「文学テクスト」の例にあげ、Google翻訳の例を紹介している。「文学テクスト」の例として、ディケンズの小説Dombey and Sonから1パラグラフを引用している。Google翻訳の出力を考察しながら、p91-2で著者は次のように述べている。「(中略)情報を正確に伝えることが目的の実用テクストについては、近い将来、AIの発達とともに、すべてコンピュータで翻訳の行われる時代がくるでしょう。(中略)つまり口頭・文書をとわず、『通訳研究』はAI研究のなかに吸収されてしまうだろう、ということです」
第5章「岩野泡鳴と直訳擁護論―読めない翻訳をなぜ作ろうとするのかー」。ここまでまとめてきて、第4章までの付箋は、7か所だったのに対して、第5章~第8章までは14か所にある。ここからは受験勉強で染みついてしまった英文和訳をいかにして日本語らしい文章にしていくかの手助けとなるのではないかと考える。だが、少々長くなってきたので、第5章以降のまとめは、次のブログ記事で紹介することとする。待てない方は、この週末にでも本著を手に取ってみて欲しい。200ページほどの新書なので数日あれば読めると思う。

(朝日新書) 新書 – 2020/6/12
山本 史郎 (著)