3.11.2012に書いたノート

Facebookのノート機能がなくなったので、2012年3月11日に書いたノートを転載します。
ーーー
ノートを書いたんだけど、初めてで良く分からないので、ここにも貼ってみる。
3.11.2011

U11のクラスの母と、クラスランチをしていて、ファミレスにいた。揺れた。やばい。学校へ向かう。信号が止まっていて、大渋滞。途中裏道に抜け、浜へ出て、浜沿いの学校へ。

生徒、先生がグランドへ出ていて、保護者も集まって来ていた。大津波警報が鳴っている。尋常ではない。先生の声が震えている。

登校班に並ばされていて、保護者も引き渡しを待っている。

サッカーのコーチもいた。同じ登校班の母がもう一人。

学校側も判断を迷っている。

車に乗るから、登校班単位で引き渡せる班は、と言うことになり、同じ登校班の母と手分けをして、班員全員を引き取ることになり、第一弾の保護者は子どもたちを引き取って、浜を抜けて帰途へ(後日これは、問題になった)。

途中、徒歩で迎えに来た登校班のお祖母ちゃんと擦れ違う。乗れない。子どもだけ先へ、ということになり、高台の各家へ。一番遠くに住んでいる女児の母には感謝された(下に子どもがいて、迎えに出られなかった)。(この時の校長先生は、3月で定年。4月に新校長を迎えた。私は、4月から地区委員。新校長と一緒に避難経路の見直しをした。)

3月末まで子ども会の会長だった。卓球大会など軒並みイベントは中止。計画停電。子どもたちの顔が暗くなっていく。(子ども会役員の子どもの一人(低学年)は、暗がりを怖がるようになり、親も子供を手放すのが怖くなり、夏のバス旅行を欠席)。

3月。そろそろ春休みだ。給食が終わって、子どもたちが早帰りをするようになる。隣に見慣れない子どもがうろうろしている。暇そうだ。隣は、昼間は80を超えた曾祖母ちゃんがいるので、子どもも祖母ちゃんも持て余している様子。2階から声を掛けた。「ねえ、何年生?」。坊主より2つくらい下だった。「ねえ、最近何して遊んでいるの?」。「あのさ、後でさ、小4(当時)のお兄ちゃんが帰って来るからさ、ベイブレードで遊んだら?」。仙台から単身で避難していたテルと会ったのはこの時が最初だった。以降、毎日のように遊びに来る。春休み。相変わらず計画停電があったり、なかったり。イベントが軒並み中止で子どもたちは暗い+退屈。親も心配で外に出さない。同級生のサッカー母ちゃんと、「肉喰うべ」ということになり、「唐揚げパーティ」をやることに。家を片付け、下3部屋を解放。総勢14名、肉4キロ、米1升、大根味噌汁鍋1杯、麦茶ジャグ1本、会費500円、その他母たちがお菓子、ジュースを子どもに持たせて、唐揚げ食べ放題。4キロの唐揚げを揚げるのは、サッカー母ちゃんとサッカー女子(当時5年)。みんな、お土産に持って帰るぐらいの量だった。その後計画停電も落ち着き、徐々に生活が戻っていく。

売り上げはすぐには戻らなかったが、震災前の受注をぼちぼちやっていた。あちこちに震災翻訳ボランティア登録。翻訳ディレクトリに震災翻訳ボランティア登録をした。ディレクトリ経由で、広告代理店からReal Voices, Real Japanというサイトの英訳スタッフの打診。いくつか記事を英訳。名前も出して貰った。
 
水野麻子さんのML経由で、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の翻訳班でのボランティアスタッフの募集を知る。登録。フリーの仕事+ボランティア翻訳の時期であった。

ふんばろうで、糸井さんのほぼ日刊新聞掲載の対談を英訳することに。監修をお願い、などと班長のえのサンに言われて、ビックリハウスを中学時代に愛読していた糸井さんファンのため、快諾。以降、ボランティアと仕事の両立が大変なことを身をもって知ることになる。http://www.1101.com/funbaro/index.html

第1回がほぼリライトとなり、ボランティア翻訳者(アマチュアの方々)の原稿を真っ赤にしてしまった申し訳なさと、約10頁のリライトに掛けた自分の時間、その分落ち込む売上に悩む。後6回あることも踏まえ、このやり方では無理と班長に相談。売り上げも徐々に戻って来ていた。

2回目以降は、他の班の姉さん達にお願いして、私は当時納期がギリギリになってしまった蟹工船官公庁案件の英訳に戻った。その後、通帳記帳で、前月の売上が激減していることにショックを覚え、夏休みを挟んでふんばろうを脱班。フリーの仕事と両立できる支援を模索。

班長が関わっていた他の支援団体Hope Japan (HP)にも入ってみた。

ふんばろうで、英語版fb頁に震災記事をアップすることもしていた。その関係で、今でも私のfbには震災関係の記事が多いと思うし、twでも多いと思う。首都圏に住んでいて、震災のことを忘れるのは容易い。今日3.11誰もが震災地に想いを馳せる。でも、きっと、週明けて年度末で、確定申告で、新学期で、みんな日常に帰っていく。だから、私は、2012年も引き続き、気になった記事はシェアしていく。SNSのシェアの力は、ふんばろうの立ち上げとなった凄い力であることを知っているから。

tw、fbでは、今でもふんばろう、Hope Japanの仲間と繋がっている。場所は違えど、思いは一つ。いざとなったら、きっとみんな動く。長丁場になることは分かっている。だから、それぞれの生活を守りながら、出来ることをちまちまと出来るときにぼちぼちと。

今日は、普段通りに仕事をすると思う。支援者の生活基盤がきちんとしていないと、支援ができないことをふんばろうで学んだから。

また来年の3.11もノートを書くよ。

矢能千秋(やのう)3.11.2012

コメントを残す