なんだか最近、素麺の話がたくさん流れてくるので、素麺についての思い出話をいくつか。
実家の素麺は、氷水に麺が浸っていて、スイカとかパイナップルとかが入っていて、氷が浮いていた。実はあまり好きではなかった。麺がぐずぐずになるのと、汁が薄くなるのが苦手だった。あれはだれの好みだったのだろうか。父親は台東区の橋場が実家で、母親の実家は千葉県の佐倉だった。父は昭和6年生まれで、母親は12年生まれだったので、いずれにしても実家で食べていた食べ方ではなかったのかもしれない。戦時中は、すいとんを食べた、と言って、父親はよく子どもたちに食べさせた。食べるのが好きで、白米の上にバターをのせて、醤油をかけて食べていた。日曜の朝は、父親が朝食をつくり、朝一番で豆腐屋に豆腐を買いにいき、父の好物のトマトが食卓にはよくでていた。実家で食べた母親のだす素麺は、そんな感じだった。
姉が結婚して、二世帯住居を建て、姉夫婦と一緒に住むようになった。義兄は大分の人で、兄の家は大家族だった。5人兄姉だったかの末っ子で、妹や弟がいない兄は、わたしや弟のことをかわいがってくれた。長女だった姉は、兄がほしかったのかもしれない。いずれにしても、そんな大家族の末っ子が、3人姉弟のわたしの長子みたいな感じになった。東海岸への留学経験もあったけど、調理師免許ひとつで70歳まで働いた人だ。最近はPokémon Goをやりながら、散歩をしているらしい。
留学から帰ったわたしは28歳まで自宅で過ごした。青山までの通勤はしんどかった。庭はBBQができるくらいの広さがあったので、よく外で食事をしていた。大分の大家族で、親族を合わせたら盆踊りができると言っていた。
あるとき、国道沿いを竹を背負って歩いているから、姉を連れて迎えにこいと電話があった。頭のなかは「????」である。姉を乗せて、国道沿いを走っていたら、竹を引きずっている兄を見つけた。姉を降ろして、わたしは家に帰った。そのあと、竹を半分に切って、庭で流し素麺をやった。不思議な感じだった。
そんな素麺の思い出があるが、わたし自身が素麺を用意するとしたら、どうするだろうか。薬味は、葱、茗荷、生姜。麵汁は、ヤマサの昆布つゆが好きである。素麺だけではごはんにならないので、玉子焼きをつくるだろうなあ。唐揚げもつくるかも。
なにがきっかけで素麺の話がたくさん流れてくるのかよくわかっていないけど、そんなことを思い出した。
おしまい。素麺の写真がないので、観音崎の海の写真を貼っておく。
おまけ:
竹は、流し素麺ができそうな竹があったから、地主の人に一本ください、と言ってもらったそうだ。
